滋賀県立美術館 Shiga Museum of Art

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アール・ブリュットについて

当館は2016年より「アール・ブリュット(Art Brut)」と呼ばれる作品群を収集しています。
日本語では「生(なま)の芸術」とも訳されるアール・ブリュットは、1940年代にフランスの画家、ジャン・デュビュッフェ(1901-1985)が提唱した概念です。主にパリで活動したデュビュッフェは、自身が同時代の芸術家や文化人らと交流を深める中で、既存の文化の影響を受けずに独特の制作を行う、精神障害者や独学の作り手などの作品に心を惹かれ、それらを「アール・ブリュット」と呼び、調査や収集を行いました。

 日本では近年、アール・ブリュットに対する関心が高まっています。きっかけの一つは、2010年にパリのアル・サン・ピエール美術館で開催された、日本のアール・ブリュット作品を紹介する展覧会「アール・ブリュット・ジャポネ」(以下、ジャポネ展)でしょう。
 ジャポネ展の出展者には、障害のある人、特に知的障害のある人が多く選ばれています。この背景として、同展における日本側の取り仕切りにあたり、滋賀県社会福祉事業団(現社会福祉法人グロー)を中心とする福祉関係者が中心的な立場を果たしたという経緯があります。パリで活況を呈したジャポネ展以降、逆輸入的に、日本でもアール・ブリュットが注目を集め、障害のある人による美術作品が評価を受けるようになりました。このなかには、滋賀県にゆかりを持つ障害者の作品も多く含まれています。

 ここ滋賀県では、戦後間もない頃から、障害者の造形活動に関して先駆的な実践を行ってきた経緯があります。1946年、糸賀一雄、池田太郎、田村一二らにより障害のある児童等の入所・教育・医療施設「近江学園」が大津市南郷に創設されます。やがて、同園では、その土地の良質な粘土を素材とした造形活動が始まりました。
 その後、落穂寮、信楽寮、一麦寮など、県内の多くの福祉施設で、主に知的障害のある人たちによる造形活動が活発に展開されました。近年では、滋賀県在住で、栗東なかよし作業所に通所する澤田真一の作品が第55回ヴェネツィア・ビエンナーレ(2013)で展示されたり、甲賀市の「やまなみ工房」が多くのユニークなアーティストを輩出し、注目を集めたりしています。

 滋賀県、障害者の芸術活動、そしてアール・ブリュット、これらの結びつきを背景に、当館でもこれまで2008年に「アール・ブリュット-パリ、abcdコレクションより- 生命(いのち)のアートだ」展、2015年に「生命の徴 滋賀とアール・ブリュット」展を開催。そして2016年に「アール・ブリュット作品収集方針」を定めて、作品を収集してきました。  
 その後も、2020年には美術館の休館中に近江八幡市のかわらミュージアムにて開催した新収蔵品による企画展「土から生まれた」や、2022年の企画展「人間の才能」を開催しました。
 また、2023年には、公益財団法人日本財団より、先にも登場したジャポネ展の後、同財団が収蔵、保管、活用していた作品群が、アール・ブリュットを収集方針に掲げる国内唯一の公立美術館である当館に寄贈(一部寄託)されました。これにより、当館のアール・ブリュット作品のコレクションは731件となり、世界でも有数のアール・ブリュット作品のコレクションを有する美術館となりました。

 ところで、時折、アール・ブリュット=障害者による美術と理解されてしまうことがあります。確かに、とりわけ国内では、両者は深く関係するものとして捉えられてきたと言えるでしょう。しかしながら、決して同じものではありません。デュビュッフェによるアール・ブリュットのコレクションにも、精神障害者による作品が含まれています。ですが、彼にとって「制作者が障害者であること」は決してアール・ブリュットの条件ではなく、むしろ、そこに見いだせる「生(なま)」な部分が重要であったということを忘れてはならないでしょう。デュビュッフェが着目していたのは、凝り固まった(と彼が感じていた)既存の文化芸術を超克するかのような、枠にとらわれない創造力であったのです。