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本日開館

滋賀県立美術館 Shiga Museum of Art

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常設展

野口謙蔵生誕120年展

会期 2021年12月7日(火)〜2022年2月20日(日)

野口謙蔵《霜の朝》1934年 東京国立近代美術館

野口謙蔵《梅干》1929年 滋賀県立美術館

野口謙蔵《村の子供》1932年頃 滋賀県立美術館

野口謙蔵《五月の風景》1934年 滋賀県立美術館

野口謙蔵《水村雪後》1938年 京都国立近代美術館

開催概要

 滋賀県蒲生郡桜川村綺田(現・東近江市)に生まれた野口謙蔵(1901-1944)は、東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科を卒業すると郷里に戻り、終生近江の風景を描き続けました。当時の風潮として、多くの画家が欧米を目指し制作に取り組むなかで、謙蔵の姿勢は特筆すべきものと言えるでしょう。
 時に謙蔵は、自身の作品に「近江野謙(おうみのけん)」とサインを入れました。このことは、謙蔵が近江の風土を誇りに思い、愛していたことをうかがわせます。
 謙蔵は帝展で3度特選に輝き、1943年には新文展の審査員を務めるなど将来を嘱望されながらも、病に倒れ43歳という若さでこの世を去りました。南画家の野口小蘋(のぐちしょうひん)(1847-1917)を伯母に持ち、地域の歌壇とも密接な関係を築いた画家は、日本画や短歌にも制作の源泉を探り、限られた生涯のなかで瑞々しくも力強い筆致の作品を残しました。
 2021年は、謙蔵生誕120年を迎える節目の年です。郷土を代表する画家として、これまでも謙蔵の作品群を紹介してきた当館では、29件の絵画作品(うち3件は寄託)、4件の関連資料(書簡等)を収蔵しています。本展では、当館の収蔵品を中心に謙蔵の代表作を紹介し、地域に残された資料類を展示しながら、滋賀と謙蔵の関わりにスポットを当てます。

見どころ

野口謙蔵《霜の朝》1934年 東京国立近代美術館

野口謙蔵《霜の朝》1934年 東京国立近代美術館

代表作を一挙公開

画壇から評価されながらも、病に倒れ 43 歳の若さで亡くなるまで、終生近江の風景を愛し、描き続けた野口謙蔵の生誕120年の年に代表作を一挙公開

野口謙蔵《水村雪後》1938年 京都国立近代美術館

野口謙蔵《水村雪後》1938年 京都国立近代美術館

帝展特選作などを20年ぶりに県内で展示

謙蔵の代表作《霜の朝》(1934、東京国立近代美術館、第15回帝展特選)、《水村雪後》(1938、京都国立近代美術館、第6 回東光会展出品作)が県内で展示されるのは 20年ぶり

野口謙蔵《梅干》1929年 滋賀県立美術館

野口謙蔵《梅干》1929年 滋賀県立美術館

力作が一堂に

館蔵品からも展覧会入選の大型作品《梅干》(1929)、《五月の風景》(1934)といった
力作が一堂に

喜雨来

野口謙蔵《喜雨来》1944年 東近江市近江商人博物館

貴重な資料類も紹介

絶筆のクレヨン画《喜雨来》(1944)や直筆の日記(いずれも東近江市近江商人博物館)など、貴重な資料類を紹介

野口謙蔵《五月の風景》1934年 滋賀県立美術館

毎週日曜日は観覧無料

毎週日曜日は「木の家専門店 谷口工務店 フリーサンデー」のため、観覧無料

会期

2021年12月7日(火)〜2022年2月20日(日)
※年末年始休館を挟みます

休館日

毎週月曜日。ただし月曜日が祝日の場合は開館し、翌日火曜日が休館。
(1月10日(月)は開館し、1月11日(火)は休館。)
年末年始(2021年12月23日(木)~2022年1月7日(金))

開館時間

9:30-17:00(入館は16:30まで)

会場

滋賀県立美術館 展示室2

観覧料

一般/540円(430円)
高校・大学生/320円(260円)

※( )は20名以上の団体料金
※「野口謙蔵生誕120年展」「昔の滋賀のくらし」の両展覧会を観覧可
※中学生以下、県内居住の65歳以上、身体障害者手帳をお持ちの方は無料
※毎週日曜日は「木の家専門店 谷口工務店 フリーサンデー」のため無料

無料観覧の日

木の家専門店 谷口工務店 フリーサンデー(毎週日曜日)
9月19日(日曜日)の展覧会から、令和3年度の毎週日曜日は、木の家専門店 谷口工務店様のご協力により、常設展示の観覧がどなたでも無料になります。

主催

滋賀県立美術館

協力

東近江市観光協会

企画

山口 真有香(滋賀県立美術館 主任学芸員)

チラシデータ

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出品リスト

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List of exhibits

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プレスリリース

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作家プロフィール

画室の謙蔵

画室の野口謙蔵

野口 謙蔵

 野口謙蔵は1901(明治34)年に滋賀県蒲生郡桜川村綺田(現・東近江市)で、野口正寛・屋恵の次男として生まれました。生家は裕福な近江商人の家系でしたが、画家や学者たちとの交流を好む祖父や父の影響で、文化的にも恵まれた環境で育ちました。幕末から明治にかけて活躍した画家の野口小蘋は伯父・正章の妻にあたります。
 幼い頃から絵を描くことが好きだった謙蔵は、1919(大正8)年に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に進学し、和田英作に師事しました。
 美術学校卒業後、謙蔵は郷里に戻ります。その頃日本では、新しい画題や技法を求めて海外に渡る画家も多くいましたが、謙蔵にとっては生まれ育った近江の風土こそが豊かな創造の源であり、蒲生野の風景やそこに暮らす人々の様子などを描き続けました。
 1928(昭和3)年に油彩画の《庭》が帝展(国の主催する展覧会)に初入選。以降も次々と大作を発表し、画壇での評価を順調に高めていきました。
 1943(昭和18)年には新文展の審査員を務めましたが、直後に病に倒れ、翌1944(昭和19)年に帰らぬ人となりました。

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