滋賀県立美術館 Shiga Museum of Art

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小倉遊亀について

郷土滋賀が誇る、日本画家小倉遊亀(おぐらゆき)。滋賀県大津市に生まれ、安田靫彦に師事し、日本美術院で活躍、女性として初の日本美術院理事長になるなど、まさに女性画家として第一線を走り続けました。また105歳の没年まで絵筆を執り続けたその生き方は、多くの人々に感銘を与えました。

滋賀県立美術館は約60点の小倉遊亀の作品を所蔵し、これは国内でも最大規模のコレクションです。展示室には「小倉遊亀コーナー」を設け、小倉遊亀の作品を随時ご覧いただけます。

※常時20点程度展示。展示替えがあります。詳しくは展覧会・イベントのページをご覧ください。

小倉遊亀は1895年(明治28年)3月1日に、滋賀県滋賀郡大津市丸屋町(現・大津市中央1丁目)に生まれました。滋賀県立大津高等女学校を卒業後、1913年(大正2年)に奈良女子高等師範学校に入学します。学生時代に絵を描くことに目覚め、横浜の高等女学校で教鞭をとるかたわら、安田靫彦に師事し、1926年(大正15年)には再興日本美術院展に初入選します。1932年(昭和7年)、女性として初めて日本美術院同人に推挙され、1976年(昭和51年)には日本芸術院会員となり、さらに1980年(昭和55年)には文化勲章を受章、日本美術院理事長もつとめました。以後2000年(平成12年)7月23日に105歳で亡くなるまで、旺盛な制作活動を続けました。

小倉遊亀の作品は、身近にあるものに題材をとった人物画や静物画が多くをしめています。澄んだ色彩と骨太な線描、そこから生まれてくる明快な造形には、東洋的な精神性を重んじながら、豊かな日常感覚に支えられた近代的な表現が明確に打ち出されています。彼女が本格的な活動をはじめた昭和初期は、明治以降の日本画がひとつの頂点を極めるとともに、また新たな展開を求められていた時代です。そうした時代をくぐり抜けて築かれた画業は、まさに昭和の日本画に新しい変革をもたらしたものと見ることができるでしょう。

鋭い観察眼に裏づけられた品格高い人物画、小品ながらも深遠な精神性を感じさせる静物画や鑑賞者に穏やかに語りかけてくるような菩薩像など、小倉遊亀作品は多彩な魅力に満ちています。緊張感みなぎるその凛とした画面の中に、小倉遊亀が時代に残した足跡を感じとっていただくことができます。

小倉遊亀の画風の変遷は大きく4つに分けられます。
画家を目指し始めた大正時代から1950年(昭和25年)頃までは、細密な描写や、端正な作品構成が特徴的です。
1951年(昭和26年)頃から1965年(昭和40年)頃までの作品は、戦後、新しい時代の日本画が待望される中で、マチスやピカソなど西洋絵画を研究し、その成果を大胆に取り入れた画家として大きく飛躍します。
1966年(昭和41年)頃から1976年(昭和51年)頃までの作品からは、円熟期に達した小倉遊亀独自の作品の境地を見ることができます。
その後80歳を越えて2000年(平成12年)の没年までの作品は、なお衰えることがなかった創作意欲が心を打つことでしょう。