滋賀県立美術館 Shiga Museum of Art

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本日閉館
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建築について

当館の建築的な特徴を列記すると以下のようになるでしょう。

  • 公園の中に立地していて、北側には日本庭園(設計:伊藤邦衛)が隣接している。
  • 展示室1(509㎡)と展示室2(360㎡)を収める建物、展示室3(996㎡)を収める建物、そしてギャラリー(478㎡)を収める建物が、ガラス張りの回廊でつながっているという構成になっている。
  • その回廊が囲む中庭や北側の庭には、アレクサンダー・コールダー、ドナルド・ジャッドなどの彫刻が展示されている。
  • 外壁に信楽焼による炉器(せっき)質タイルが使われている。

この建物の設計者は、株式会社日建設計。その中心となった担当者は、大阪事務所の小角亨でした。同じ担当者が設計に携わったミュージアムとしては、1970年竣工の有芳園西館(現・泉屋博古館)や1973年竣工の倉吉博物館などが知られています。彼らが選ばれたのは、いわゆるコンペを経てのことでした。その経緯の概略は次のようになります。

1979年5月29日
滋賀県立美術館建設調査委員会が設置され、美術館の基本的性格や主な事業について検討を行う。委員に乾由明(京都大学教授)、本間正義(国立国際美術館長)、増田洋兵(兵庫県立近代美術館館長補佐)の他、県美術協会、県造形集団、八美会、市民ギャラリーといった県内の美術団体の代表者、その他県の関係者が就任。
1979年11月20日
委員会による「県立美術館についての報告書」。「4 建設地」の中には「美術館の建設にあたっては、人間と自然のふれ合いの中で人びとの心にやすらぎをあたえようという人間尊重の基本姿勢を貫き、恵まれた自然の地形や緑をできるだけ生かし、他に類をみない自然美を誇る美術館としたい。なお予定地は傾斜地であり、それを生かした特色ある建物とすることが望まれるが、この場合、デンマークのルイジアナ美術館、アメリカのオークランド美術館が参考となろう。」と書かれている。
1980年5月14日
県立美術館(仮称)建設委員会が設置される。委員の構成は、乾由明、白石博三(京都工芸繊維大学名誉教授)、高尾亮一(元宮内庁皇居造営部長)、中村一(京都大学教授)、本城博一(滋賀県教育委員会文化部長)。同委員会によって、まず、これまでの実績を参考にしながら8社が絞り込まれる。次に、8社に対して10項目にわたるアンケートを送った上で、県立美術館設計委託業務ヒアリングが実施された。
1981年1月13日
ヒアリングの結果を検討し指名設計競技の参加事務所として日建設計、日本設計、岡田新一設計事務所の3社が決定。
1981年1月24日
県立美術館(仮称)指名設計競技審査会が設置される。審査員は、村野藤吾、芦原義信、浦辺鎮太郎等。
1981年3月11日
指名設計競技発注
1981年6月10日
指名設計競技の設計図書の提出
1981年6月18日
審査会において日建設計が当選案に選ばれる。アンケートやヒアリングを経たこの指名設計競技については、当時、『新建築』(第56巻5号)によって「理想的な地方自治体のコンペ—滋賀県立美術館設計協議」と評価された。
1981年8月21日
設計委託。
1981年12月25日
実施設計終了。
1982年2月16日
工事入札。
1982年3月18日
建設工事が竹中・笹川建設工事共同企業体に発注される。
1983年9月30日
竣工。約1年間の「枯らし期間」をおく。
1984年8月26日
「滋賀県立近代美術館」開館。

それから30年以上が経ち、展示室や設備等を、現在の美術館に求められる水準に更新する等の老朽化対策と、キッズスペースやラボ等の整備を行う等の改修工事が実施されました。このうち、エントランスまわりのウェルカムゾーンと呼ばれるエリアを中心に、デザイン統括、内装設計を行ったのが、大阪に拠点を置くgrafです。VIやサイン計画はUMA / design farmが担当。また、照明やベンチ、カフェやショップのタイル、 案内サインには、滋賀県の信楽を拠点にするNOTA & designが製作したもの、つまり信楽焼が使用されています。

(以上文中敬称略)