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常設展1
滋賀の洋画
会期 2013年04月02日~2013年06月23日
開催概要
常設展示室1では、近代の日本画や滋賀県ゆかりの美術作品を展示替えを行いながら紹介しています。今回は「滋賀の洋画」と題して、日本的洋画の開拓者・野口謙蔵(のぐち・けんぞう)と関西洋画壇の重鎮・黒田重太郎(くろだ・じゅうたろう)との二人を中心に、湖国ゆかりの洋画家たちをご紹介いたします。
野口謙蔵(明治34年─昭和19年)は現在の東近江市に生まれ、東京美術学校で和田英作(わだ・えいさく)に師事しました。叔母は著名な南画家・野口小蘋(のぐち・しょうひん)。東京美術学校卒業後は郷里の蒲生野に籠って、故郷の自然と人々の暮らしを生涯暖かい目で描き続けました。その作風は「油絵で描いた日本画」と評され、南画の影響の強い、独自の東洋的でダイナミックな様式を示しています。また東光会の創立会員として後進の指導にもあたりました。中央から離れた滋賀県に籠っていたのと43歳の若さで夭折したため、戦後は長らく忘れられた存在でしたが、近年になって「日本的洋画の開拓者のひとり」として脚光を浴びています。
黒田重太郎(明治20年─昭和45年は)は現在の滋賀県大津市で大阪船場の豪商の家系に生まれ、16歳の時に絵の道を志し、京都の鹿子木孟郎(かのこぎ・たけしろう)、ついで浅井忠(あさい・ちゅう)に師事しました。大正5年に渡欧し、写実的キュビスムの画家アンドレ・ロートの影響を受けて帰国。帰国後は日本的洋画の追求に腐心する一方で、小出楢重(こいで・ならしげ)、鍋井克之(なべい・かつゆき)らと信濃橋洋画研究所を開設したり、昭和22年の第二紀会(現在の二紀会)の結成に参加するなど、関西洋画壇の重鎮として精力的に活躍しました。また京都市立美術専門学校(現在の京都市立芸術大学)で教鞭を取るなど、後進の育成にも力を注ぎました。
今回の展示ではこの二人の作品を中心に、滋賀県彦根市出身で黒田重太郎らに学んだ秋口保波(あきぐち・やすなみ)、野洲市出身の鷲田新太(わしだ・あらた)、大津市出身の三田康(さんた・やすし)、近江八幡市出身の伊庭(いば)伝次郎(でんじろう)、彦根市出身の島野重之(しまの・しげゆき)といった滋賀県出身の洋画家たちや、岐阜県出身で彦根漁港の風景を描き続けた島戸繁(しまと・しげる)、朝鮮の生まれで現在の高島市に住んで活躍した全和凰(チョン=ファハン)ら、滋賀県にゆかりの深い画家たちの作品を一堂に展示し、滋賀県洋画壇の精華をご紹介いたします。
- 会期
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2013年04月02日~2013年06月23日
- 会場
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滋賀県立近代美術館